About "Blow The Earth"

映画「地球を吹く in Japan」とは
 2007年夏から2011年秋までかけて、日本列島の自然の中で近藤等則はエレクトリック・トランペットを即興演奏して廻りました。 日本列島の自然の素晴らしさは美しい四季の移り変わりにあります。近藤は四季の移り変わりを三廻り吹いて廻りました。
 それを編集して、2013年4月、映画「地球を吹くin Japan」を完成させました。
 ほとんどの映画は人間が主人公であり、シナリオも人間によって書かれたものですが、この映画は日本の自然が主人公であり、四季の移り変わりという自然が書いたシナリオにもとづいています。
 セリフもほとんどなく、ナレーションもありません。日本列島の自然の映像と近藤の演奏・自然の音だけで、映画は淡々と進行していきます。

 2011年の春を吹こうとしていた矢先に、2011年3月11日東日本大震災がおこりました。自然のシナリオにしたがうしかありません。5月東北に行って、被災地と東北の春を吹きました。
 2011年10月、秋を吹こうと北海道の自然をさまよっていたところ、屈斜路湖で信じられないような夕景に出会いました。いのちの大本である静寂が満ち満ちて響いているような光景。ここでの演奏が映画のラストシーンになりました。

 都市という人工空間の中で、人間同士のコミュニケーションだけのために演奏されるようになった20世紀の音楽を、すべてのいのちとつながり、いのちの大本である地球の自然と共振共鳴する音楽へと解放しようとする試みが「地球を吹く」です。
 「日本の底力は何?」と聞かれたら、「それは日本列島の自然だ」と近藤は答えます。
 世界の大自然を吹いて廻った後、日本の四季を吹いて近藤が一番感じた事は、日本列島の自然のきめの細やかさ、優しさ、豊かさ、そして四季の移ろいの美しさです。世界の自然の中でもかけがえのないものです。
 縄文時代以来、日本列島に住む人達はこの自然に育まれて生活を営んできたのです。
 日本人の生活観、死生観、美意識、文化、すべてはこの自然をベースに生まれたのです。

 残念ながら今の日本人は現代情報社会の忙しさに気を取られ、我を忘れてしまっているのかもしれません。
 日本列島の自然の恵みに感謝し、自然の猛威に祈りをささげ、自然と共に生きる気持ちよさを、日本人は何千年も続けてきたのです。この感覚をもう一度私達は取り戻さなければなりません。
 この映画がその一助にでもなれば、こんな嬉しい事はありません。
 この映画をつうじて、世界の人達に日本の自然のすばらしさをアピールしたいのです。日本人に対する理解を深めてもらいたいのです。そして共に地球に生きる喜び・不思議さを分かち合えたら、と希求するのです。

 世界の音楽シーンにおいて、「地球を吹く」というような演奏活動をしているミュージシャンはほとんどいないでしょう。ですから、「地球を吹く」は異端です。頭だけで観ようとすると、「何だ!」と思われるかもしれません。
 深呼吸して体の力を抜いて、意識と体のより深いところでこの映画を感じて欲しい、と祈るばかりです。

近藤等則
Blow The Earth Nature x Spirit xTechnology
「地球を吹く」とは、地球の発するバイブレーション・インスピレーションと共振・共鳴すべく、大自然の中でエレクトリック・トランペットを即興演奏する行為である。

 地球上のあらゆる生命は、太陽を父、地球を母として生まれ育まれてきた。人間もその例外ではない。
 しかし、現代社会に生きる我々は、肥大化した自意識にとらわれ、欲望のままに自然から切りはなした都市文明を築き上げ、生命の大本との大らかな繋がりの感覚をマヒさせてしまったのではないだろうか。
 例えば、我々は国には税金を払い、家族には生活費を渡す。でも地球に何かお返しをしているだろうか。地球にタダ乗りさせてもらっていることに思いをはせる現代人がどれだけいるだろうか。

 何億兆トンもの重さの地球が沈みもせず、あらゆる生命を乗せて太陽のまわりを超高速で飛び、太陽系も銀河の中心のまわりを24000年かけて一周している。
 こうした宇宙のいとなみの中で、我々人類も生かされているのだ。我々人類は地球の申し子であるばかりか、宇宙の申し子でもあるのだ。

 現代人間社会は大いなる発展を遂げているように見えるが、同時にますます閉鎖社会になっているように見えてならない。
 例えば音楽がそうだ。ほとんどの音楽が聴衆のために演奏される。「コンドー、なんで聴衆もいない大自然の中で演奏してるんだ」と言われたことがある。

 音楽は本来人のためにだけあるのだろうか。
 音楽は本来、生命の大本に捧げる人間の聖なる行為であり、地球に他の生命と共に生きる喜びの歌であり、宇宙の神秘と繋がり共鳴しあう魂の叫びではないだろうか。
 「地球を吹く」は、現代都市文明にからめとられた生命を少しでも解放する作業でありたい。
 ともかく、「地球を吹く」は気持ちがいいのだ。

近藤等則
「地球を吹く in Japan」LIVE & 上映会 フライヤー掲載文
 「ネーチャンからネーチャー」へ、「子宮を吹くから地球を吹く」へ、音楽活動の次元を変えてから20年経ちました。
 人間同士のコミュニケーションツールだけに成り下がった20世紀の音楽を、原点に立ち戻らせたかったのです。 「はじめに言葉ありき」と言った聖書のように、人間が発するサウンドの大本を探り当てたかったのです。

 都市の人工空間の中でしか音楽は花開かないのか、人に向けてしか音楽は表現されないのか。
 1993年12月イスラエル・ネゲブ砂漠で演奏したのを皮切りに、 ペルー・アンデス山脈、ヒマラヤ・ラダック、沖縄・久高島、アラスカ・マッキンレー、バリ島・アグン山……………と、世界の大自然の中でエレクトリックトランペットで即興演奏してきました。
 「人が聴いてくれないようなところで演奏してどうするんだ」と仲間のミュージシャンからも冷やかされました。人工空間の中でのコンビニな生き方よりも、大自然の中でのネーキッドないのちの方がどんだけ気持ちイイか、もっと試す必要がありました。

 2007年夏から、「地球を吹くin Japan」を始めました。
 2011年秋までかけて、日本列島の四季を三廻り吹いて廻りました。
 日本の四季は地球の呼吸です。日本の四季が日本人の力の源です。日本の四季こそ日本人のインスピレーションの源です。日本の四季と感応しあう感覚・生活を我々日本人が今こそ取り戻さなければ。そして日本の四季の素晴らしさを世界に見せたい。地球に生きる喜びを共に分かち合いたい。Nature-Spirit-Technologyの三位一体こそ21世紀の表現ではないか。

 2011年3月11日の東日本大震災も体験しながら、映画「地球を吹くin Japan」を完成させました。
 ほとんどの映画は人間がかいたシナリオで、人間が主人公です。
 でもこの映画は日本列島の四季がかいたシナリオで、日本の自然が主人公です。我々人間は地球に寄生させてもらってるだけなのですから。
 自然といのちと音の響命、がこの映画の主題です。
 地元の自然の中でのライブと共に、映画「地球を吹くin Japan」をお楽しみください。
 世界の人間社会を覆う難題は、自然という変数をどう扱っていいか分からないから解けないだけなのかもしれないのです。
 Fuck & Free, あるいはHere & Smileへ。

2013・9 近藤等則
近藤等則・著「イズラエル」序文
<地球を吹く>

都市から自然へ
人工空間から創造主の空間へ
悠久のバイブレーション、神秘のイマジネーションの中に身をひたす
果てしない空、ひろがる大地
吹き渡る風、輝く光
共振する世界、直流するエネルギー
この小さな限られた天体の背中に乗って遊ばせてもらうことの僥倖
この小さな限られた肉体の中にある限りない精神の発露
有限と無限の合体
生と死の合体
人を愛する
神に愛される
旅は祈り
ソウル・トリップ
地球を吹く


※1995年刊、近藤等則・著「イズラエル 」(はじめてネゲブ砂漠で「地球を吹く」のパフォーマンスを行ったイスラエル行を近藤自身がつづった旅行記)序文。